福祉と介護のはなし

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ホームレスの男、ガイ・リッチー監督「シャーロック・ホームズ」に抜擢!
2009/01/06

 ヤフーニュース5日から。

 英マンチェスターのホームレス男性が、ガイ・リッチー監督が
撮影中の「シャーロック・ホームズ」にキャスティングされるという
映画さながらのサクセスストーリーがあったことが明らかになった。
英ミラー紙が報じている。

 その男性は、長年1人で面倒をみてきた病気の母親を看取ったのち
生活費が底を尽き、7カ月ほど前から路上生活者となっていた
レイモンド・エマニュエルさん(56歳)。
ところが昨年末、暖をとるために入った映画館から出てきたところで
「シャーロック・ホームズ」のキャスティング・エージェントに遭遇。
エマニュエルさんの上品で威厳ある風貌に感銘を受けたエージェントは、
すぐに同作の英下院議員の役をオファーしたらしい。

 さっそく翌日には衣装合わせを行い、さらに翌週には
1日撮影に参加することになったというエマニュエルさん。
「美味しい食事もごちそうになって、映画撮影の裏側を
見ることができたし本当に素晴らしい経験だった。
現場には400人ぐらいの人がいて、リッチー監督と、
ジュード・ロウもいたよ」。出演料として、
75ポンド(約1万円)+衣装合わせの20ポンド(約2600円)が
支払われたそうだ。

 撮影終了後、福祉団体の世話で部屋を見つけたエマニュエルさんは、
その後も同エージェントと連絡を取り続けているという。
エージェント側ではまた何か俳優としての仕事がないか
探してくれているようだが、彼は「自分は俳優ではないし、
とにかく今は真っ当な仕事を見つけるのが先決」と語っている。

 ホームズ役にロバート・ダウニー・Jr.、ワトソン役に
ジュード・ロウを迎えて製作中の「シャーロック・ホームズ」は、
09年末公開予定。エマニュエルさんは下院議員席の最前列に
座って登場するそうなので、公開時にチェックしてみては。





 ホームレスが映画に出演、人生っていつどうなるのかわからないもの。
彼の「今は真っ当な仕事を見つけるのが先決」という言葉に
重みを感じる。真剣に生きているように感じられる。

「派遣村」から引っ越し
2009/01/05

 中日新聞5日から。

 住居や仕事を失い「年越し派遣村」(東京・日比谷公園)の
テントや厚生労働省の講堂で寝泊まりしていた派遣労働者らが5日、
新たな受け入れ先に向けて引っ越しを始めた。
派遣村ができた先月31日から5日間に登録した入村者は499人。
厚労省講堂で開いた「大移動集会」には、荷物を抱えた
失業者ら約340人が集まった。

 集会では、延べ約1700人のボランティアが参加し、
約2300万円のカンパがあったことが報告された。

 村長の「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠事務局長は
「再就職やアパート探しなど、これからが大変。
派遣村は解散するわけではなく、一人一人が避難所を出られるよう、
できることをしていきたい」と支援を約束。
「派遣ユニオン」の関根秀一郎書記長は「生きる権利を否定される
今の事態はまさに災害。路頭に迷う人々の受け皿になる機関をつくり、
派遣切りを出さない緊急立法を」と求めた。

 この後、生活保護の希望者約230人のうち約80人が、
ホールに面談会場が特設された千代田区役所へ電車で向かった。

 その他の参加者は国会に向けてデモ行進。「大企業は
首切りをやめろ」「労働者派遣法を抜本改正しろ」と
シュプレヒコールを上げた。5日午後にはチャーターしたバスで、
都内の廃校跡など4カ所に移動する予定。
入居期限は1週間で、ハローワークなどの臨時窓口が設けられ、
職場や住居の相談を受ける。





 派遣労働者らの6日からの居場所が決まってよかった。
入居期限は1週間というが、仕事がうまく見つかるだろうか。
この不況はまだ始まったばかり。今後失業者が続々増え、
消費は落ち込んだら、この先私たちの生活はどうなるのだろう。
しかし、今回の派遣村では延べ約1700人のボランティアが参加し、
約2300万円のカンパがあったことには、あたたかな
思いやり、共生、共存のよい社会へと向かっていることを
感じ、うれしくなってしまった。

生きる希望、派遣村がくれた…失業・自殺未遂から再起誓う
2009/01/04

 読売新聞4日から。

 職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の
「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。

 入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を
図るまで追いつめられた男性(46歳)がいた。
家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。
男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、
「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた−−。

 「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が
派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。
約7年間続けた製本の仕事は日当6840円。
週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは
1日1000円以上かかった。
大みそかの朝、所持金は200円になっていた。
「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。

 男性は、北海道釧路市出身。19歳で上京し、
不動産会社の従業員だった27歳の時に結婚した。
その後、タクシー運転手に。待望の長男を授かってからは、
率先して炊事や洗濯、子守を手伝う良き父だった。

 しかし、タクシーの仕事は減り、それに伴い夫婦仲も悪くなり、
8年前に離婚した。空虚感から仕事が手につかなくなった。
離婚から2年後、アパートを夜逃げ同然で飛び出し、
ネットカフェなどで暮らしていた。

 今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、
午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。
上京後、初めてデートした公園のそばだった。
高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。

 だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。
放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介する
リポーターの声が聞こえた。

 「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、
ここに来ればなんとかなるかもしれません」

 日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。
ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、
涙がこみ上げてきた。

 同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、
「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。

 男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。
「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。





 日比谷の派遣村、ボランティアの人たちの温かさが
身にしみる。
人が人を支える、心を元気にする、専門家が法律や制度について
教えてくれる 、こんな心強いことはない。
杉並区では170人が生活保護を申請したというが、
予想は200人とみているそうだ。
「年越し派遣村」でお正月を過ごしている人たちの
生活の大変さが伝わってくる。

 では、この私が今できることはいったいなんだろう。
こんな私でも何かできることはないだろうか?
そんな気持ちにさせる、「年越し派遣村」の活動。
人が人を支える、人のために生きる。
ボランティアの力のすごさに感動。

「伝わる手話」広めたい みやぎ手話工房フロムハート
2009/01/03

 河北新報3日から。

 聴覚に障害のある人たちが中心となって組織する
「みやぎ手話工房フロムハート」(仙台市)が、
日本語とは文法が異なる独自の手話言語「日本手話」の普及に
取り組んでいる。指導法を研究したり、使用例を体系化したりして、
日本手話を教えられる人材を養成するのが目標。
仙台で、3月に開くセミナーに向けて準備を進めている。

 フロムハートは、仙台市宮城野区鶴ケ谷の手話講師
工藤豊さん(46歳)が代表となり、昨年8月に設立。
メンバーは約20人で、理解を深めてもらう講演会や
手話教室の企画・運営を行っている。

 日本手話は、語順などが日本語と異なり、日本語を覚える前に
聴力を失った高度難聴児らが、日常会話として使う。
例えば「名前」という簡潔な手話に、顔の表情や視線を組み合わせ
「あなたの名前は?」や「私の名前は」など、複数の意味を
伝えることができる。手指以外の動作も言葉としての意味を持つため、
円滑に意思疎通ができる。

 一般的に使われる「日本語対応手話」は「道草をくう」なら
「道」「草」「を」「くう」と手話に変換。機械的で単純に見えるが
「途中、ほかのことに時間を費やす」という真意が伝わらず、
意思疎通ができないケースも珍しくないという。

 中途失聴者の工藤さんは、日本手話の習得は難しいものの、
その有効性に驚かされたという。工藤さんは「正しく円滑に
意思を伝えられる日本手話が普及することで、聴覚に障害のある人たちの
社会参加がより進むのではないか」と指摘する。

 ろう者が職業として、企業や学校で日本手話を教えている例もあるが、
東北では少数のボランティアに頼っているのが現状だ。
フロムハートでも講師や通訳が足りず、手話教室の開催を断念したことがある。

 工藤さんは「セミナーを通して日本手話の存在を広く知ってもらい、
多くの人が学べる環境を整えていきたい」と話す。

 セミナーは3月14日、仙台市青葉区一番町の
市市民活動サポートセンターで開かれる。
連絡先はフロムハート、ファクス022(251)6189。





 手話にもいろいろあるそうだ。
日本と外国の手話はもちろん違うそうだ。
文法の違いもあるだろうが、表現の違いもあるようで
手話を使っての意思疎通はスムーズにいかないことも多いようだ。
聴覚障害者と接していて感じることは、情報が目からしか入らないため、
少ない情報での判断ができず、不安や心配事が多くなるようだ。
自分の思い込みや勘違いなど、コミュニケーション不足により
孤立してしまいがちである。
以前職場で聴覚障害者の方と一緒に仕事をしていたが、
その方が補聴器を忘れたとき、話がうまく伝わらず、
仕事にならなかった。
本人はあわてて家族の方に補聴器を職場まで届けてもらい、
事なきを得た。このとき、威力を発揮したのは携帯電話だった。
聴覚障害者の方たちにとって適切な情報量がなければ
生活に支障をきたすことを身をもって知った出来事であった。

難聴の息子と向き合う 歌手・今井絵理子さん
2009/01/01

 琉球新報1日から。

 歌手・今井絵理子さん(SPEED)の場合

 2004年10月、東京都内の病院。1990年代後半の
音楽シーンを代表し、絶頂期の中2000年に解散した人気グループ
SPEEDのメンバー・今井絵理子さん(25歳)は
3492グラムの礼夢(らいむ)君(4つ)を出産し、
幸福感に満ちあふれていた。

 妊娠中は胎教として自身の曲を聞かせた。生まれたら
「ママの歌を聞かせたい。ギター、ピアノ、いろんな楽器に触れさせたい」
と夢は膨らんだ。言葉に表せない喜び。
「初めて誰かを守りたい」と思った。

 3日後。病院で新生児聴覚テストを何の迷いもなく受けさせた。
息子はなかなか戻らない。不安がよぎり始めた時、医師から
「耳が聞こえていない」と告げられた。先天性高度感音性難聴。
音がほとんど聞こえない重度の障害だった。
 「神様は残酷だ」。そんな憎しみさえわいた。
涙がこんなにも出るのかと思うほど泣いた。だが、泣くうちに
「子どもだってお母さんの笑顔を見たいはずだ」と自身に言い聞かせた。
「あすから泣かないから今日だけは泣かせてね。
どんな時も笑っていようね」。息子を何度も抱きしめた。
 出産時の「守りたい」との意志が一層強くなった。
「前だけを見て、今いる息子を見詰め、すべてのことを受け止めよう」。
そう誓った。礼夢君の障害が分かって6カ月後。
ギターを弾き「おうちへ帰ろう」という曲を歌った時のことだ。
おもちゃで遊んでいた息子は手を止め、長い間じっとギターを見つめた後、
はじける笑顔を見せた。
 「ママ、歌っていいんだね」。おもちゃをマイク代わりに遊ぶ姿を見て、
今井さんは歌う意欲がわいた。「音楽は耳で聞くのではなく、
心で聞くものではないか。障害のある子どもたちに歌、
音楽の素晴らしさを心で感じてほしい」。
再びマイクを持つことを決心した。それは息子の笑顔に
「すべてが救われた」瞬間だった。

 そのころ、唇の動きを読む口話法の学校で、多くの母親たちと出会った。
母親たちは悩みを話しながら「芸能人の子は何の障害もなく、
健康な子が生まれてくるだろうと思っていたが、
同じ立場で話せてうれしい」と笑顔で語り掛けてきた。
 触れ合う中で「障害は一つの個性だ。それをみんなで認め合い、
一緒に生きていく社会になってほしい」と思うように。
そして息子のすべてを受け入れることを決心した。

 07年9月に夫と離婚したが、仕事と両立させながら息子を育て、
昨年4月から手話を覚えた。
 障害のある子の母親たちとの出会いが後押しとなり
「伝えられる立場にいるわたしの使命」との思いから8月に
「24時間テレビ 愛は地球を救う」にSPEEDのメンバーと出演し、
息子の障害をテレビで告白した。メンバーから激励を受け、
絆(きずな)を確かめ合った。

 それを機にSPEEDは完全復活。大みそかのNHK紅白歌合戦にも
出演し、今年はコンサートツアーで全国を駆け回る。






 新年明けまして おめでとうございます。
今年1年、どうか良い1年となりますように。
結果だけ見れば良いことも悪いことも、
私たちにとっては成長するための大事な試練。
実り多き1年となりますように、多くの人と協力し
助け合えますよう
1日、1日を大事に生きてゆきたい。


今井絵理子さんのように障害を持つ子どもを授かったことで
見方も考え方も多きく変わり、周囲の人たちにまで影響を与えることもある。
今井さんが今まで以上に輝いて見える。
大変な時にがんばっている人を見るとこちらも励まされる。

ホームレス支援施設の利用急増、ネットカフェ難民ら入所
2008/12/31

 読売新聞31日から。

 「派遣切り」など非正規労働者に厳しい年の瀬となっている中、
就労を希望するホームレスに無料で宿泊場所や食事を提供する
ホームレス自立支援センターの利用が急増している。


 東京都と大阪など8政令市に計24か所あるセンターの利用率は
3月に64%だったのが、今月下旬のデータでは83%になった。
若者が増えており、東京都と横浜、堺、北九州の各市は
9割以上が埋まっているという。

 定員72人の名古屋市の施設「なかむら」は、
利用率が2007年度に51%だったのが、82%に跳ね上がった。
市は「10月以降、自動車など広範囲の産業に影響が出ているせいで
入所者が極端に増えている」と心配する。

 派遣契約を切られて半年近く入所する男性(35歳)は
正社員を目指し、就職活動するが、製造業など15社で断られた。
派遣会社に登録したが、仕事が回ってくる保証はない。
「いつ生活が落ち着くのか」と不安を漏らす。

 利用率90%の横浜市の「はまかぜ」(定員226人)では、
この半年間にネットカフェ暮らしだった66人が入所した。
ネットカフェに約2年間寝泊まりし、今月19日に入所した男性(26歳)は
「アルバイトをしていたが仕事が激減した。正社員になり、
アパートを借りたいと入所したのだが」と話す。

 工藤広雄施設長は「雇用悪化で、派遣やバイト生活をしていた
若い世代の新しいホームレスが多くなっている」と危機感を募らせる。





 若い人たちも不況で住むところがなくなっているという。
両親や家族と同居し自宅通勤するなら住まいの心配はないが、
一人で仕事と住まいの両方を捜すのは大変である。
大みそかのニュースも不況のニュース、来年はさらに悪化する模様。
ホームレス支援施設はありがたい。
一般の仕事のある人たちにとっても不況には変わりない。
暮れのスーパーは混雑しているが、財布のひもは思ったよりかたい。
老いも若きも年齢問わず、現実は厳しい。
せめて国の制度や社会保障だけは手厚く安心できるものを望みたい。

人とつながり「百円玉に重み」=雑誌売り、再スタート−ホームレス、師走の街で
2008/12/29

 ヤフーニュース28日から。

 景気が急速に悪化し、「雇用不安」が重くのし掛かる師走の街角で、
再起を目指すホームレスの人たちが雑誌を片手に奮闘している。
「Big Issue(ビッグイシュー)日本版」。
1冊300円のうち160円が販売した人の収入になる。
出版元は「販売者を見て、どんな境遇に陥っても再スタートできると
実感してほしい」と訴える。

 「お客さんの心がこもっている100円玉に、重みを感じる」。
3年前にアルバイト先を解雇され、路上生活を送る男性(51歳)は
月曜から土曜までJR大阪駅近くの路上に立ち、
1日20−25冊を販売する。「初めて路上に立った時、
中学生くらいの子が『おじさん、寒いでしょ』と
使いかけのカイロをくれたのが忘れられない」と話す。
 買った人に「ありがとう」とお礼を言おうとすると、
先に「ありがとう。頑張って」と声を掛けられる。
「ホームレスは横のつながりがないので、人とつながりが持ててうれしい」。
男性からしか買わない客もおり、大みそかまで路上に立ち続ける。

 出版元によると、同誌は1991年にホームレスの自立救済を目的に
イギリスで創刊された。日本版は2003年の創刊から、部数を伸ばし、
ここ数年は3万部を超える。販売員に登録した約800人のうち
1割が路上生活から脱出。東京と大阪を中心に12都道府県で
約120人が販売しており、最高齢は76歳の男性という。

 12月には、雑誌で一番人気のコラムをまとめた単行本
「世界一あたたかい人生相談」を出版。2カ月間路上で先行販売し、
既に3000部近くが売れた。ホームレスは1冊売るごとに
定価の半分の700円を得る。
 出版元の佐野章二代表(67歳)は「年末の一時金や
お年玉になれば」と願う。一方で「不景気のあおりで、
販売登録者は増加傾向にある。部数は横ばいだが、
これから影響が出てくるのでは」と懸念している。





 群馬県のホームレスは平成15年は87人、19年は96人だった。
20年、今年の調査では男94人、女3人群馬県で合計97人いるそうだ。
高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田市などの都市公園、河川、
駅舎などに多いと思われる。
群馬県の場合は増加、停滞傾向が続いているそうだ。
今年の年末は不況寒波で、クリスマスもお正月のコマーシャルも
耳にする音は小さいように思う。
ホームレスにはならないまでも家計直撃、圧迫はま脱がれない。
一般家庭にも不況で財布のひもは固く締められたまま。
これから極貧の耐久生活が待ち受けているような気さえする。
人との支えあえ、声かけ等のあたたかなぬくもりを大事にしたい。

2035年の群馬県内 3人に1人が高齢者  神流・南牧は7割
2008/12/28

 読売新聞28日から。

 2035年には、群馬県人口に占める高齢者(65歳以上)の割合が
3人に1人となるほか、神流町や南牧村では7割が高齢者となる
見通しであることが、国立社会保障・人口問題研究所が
発表した推計人口で明らかになった。

 推計によると、人口に占める高齢者の割合は、
県全体で05〜35年の30年間で、13・3ポイント増えて33・9%になる。

 伊勢崎市や太田市、大泉町などの産業が集積した地域では、
県平均に比べて低水準にとどまる一方、
神流町では30年間で21・9ポイント増えて70・2%に、
南牧村で14・4ポイント増えて67・8%に達する。

 神流町の神原裕司総務課長は「うなぎの寝床のような土地で
産業もなく、とにかく頑張るとしか言いようがない」とため息をつく。

 一方、推計では、30年間で人口が増加する見込みの
県内市町村は吉岡町と榛東村、伊勢崎市だけ。
残る35市町村はすべて減少する見込みで、減少率では南牧村(68・3%)と
神流町(66・4%)が全国の自治体でも1、2位を占め、
これに下仁田町、上野村、みなかみ町と続いた。

 南牧村では、村内60の集落のうち高齢者人口が過半数の
「限界集落」がすでに1割強あると言い、村の黒沢久能総務課長は
「今後も人口が減って高齢者が増える前提で、どのような住民サービスが
できるか検討している。国や県にはこういう自治体がやっていくための
施策をモデル的に示してくれるよう要望する」と話している。

 また、昨年12月に初めて栃木県を下回ったことが確認された
本県の人口は、今後当面、再逆転はない見込みだ。
本県の人口が、05年の202万4135人から、
15年にも200万人を割り込み、35年には169万9440人にまで
減るのに対し、栃木県は減少ペースが緩やかで、
同年に174万3515人となる見通しだ。




 
 群馬県の人口が減少する予測、高齢化も高まり、山間部では
すごい高齢化の数値予測。
将来の群馬県に不安があるが、今からできることを政策的に
進めてほしい。社会保障は制度として何十年もかけて作り上げられてゆく。
この人口予測は今後の将来の指針となる大事なもの。
群馬県人の一人として山間部も含め手厚い社会保障制度を充実してほしい。
2035年まであと27年、もちろん私も立派な高齢者だ。
どんな将来が待ち構えているのか想像もできないが、
暮らしやすい良い時代になっていることを祈りたい。

商店街高齢化 10年前から600店減 「後継者いる」1割 大型店でさらに打撃
2008/12/27

 読売新聞24日から。 

 富山県内の商店街振興組合が今年、19組合、約1300店舗と
10年前に比べ5組合、約600店舗減少し、60歳以上の
店主が40%を占めるなど高齢化が進んでいることが県の調べでわかった。
60歳以上の店主のうち後継者がいるのは1割で、
設備投資として利用される県制度融資の貸し付けも低調となっており、
郊外に大型店が立地した影響で、中心商店街が
疲弊している実態が明らかになった。





 戦後の復興を目指した昭和30年〜40年代では
小売りの地域商店街が盛んな時代だった。
家族で商売、親子代々続く商店や自営業者が多く、
サラリーマンは少なかった。
それが今は地域での小売業はなかなか難しく、少ない。
安価な大型店に押されてもがんばっている昔からの地域商店街、
ここは地域住民や高齢者のオアシス、高齢者にとってはいのちの支え。
なぜなら食事処をはじめ八百屋、薬屋、小間物屋、洋服屋、
メガネ屋、医者などその商店街に出向けば大方間に合ってしまうから。
都会の商店街の方が今でも繁盛している理由は歩きで買い物、
群馬のように車で移動しなければならない地域との差だと思う。
群馬に住む私たちの地域は高齢者にとって住みにくくなっている。

世界の失業者、2010年までに最大2500万人増 OECD事務総長
2008/12/24

 日経ネット24日から。

 経済協力開発機構(OECD)のグリア事務総長は
22日、仏ラジオ番組に出演し、2010年までに世界の失業者が
金融危機などの影響で最大2500万人増えるとの見通しを示した。
OECDは既に、日米欧など先進国では同じ期間中に
失業者数が約800万人増えるとの予測を示しているが、
世界全体でこの3倍強の失業が生じるとの見通しに踏み込んだ。

 各国の経済政策についてグリア氏は「(日米など)他の先進国経済に比べ、
欧州は国内総生産(GDP)など経済規模に対して
景気対策の規模が小さい」と指摘。
追加対策が必要との考えを強調した。
欧州中央銀行(ECB)の追加利下げが重要との見方も示した。

 先進国の経済見通しについては、少なくとも09年半ばまでは
景気後退が続くとした上で、それ以降の景気の回復力も
極めて弱くなると述べた。





 2010年までに世界で失業者最大で2500万人との予測がでた。
過去にないほどの恐慌がこれから始まるのか?
恐慌の時には私たち国民にとって、
社会保障制度がどれだけ充実するかが、問題。
社会保障制度の内容、範囲、金額等が国民の生活きちんと支え
守るものとして機能しなければ国民生活は破たんする。
長期失業者が増えないことを祈りつつ。

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